財団について

松前国際友好財団の理念

この法人は、人種、性別、宗教、思想を問わず、優れた学術的資質を備えた外国人研究者に対し、わが国での研究活動の機会を与え、もって我が国の学術の発展に寄与するとともに、国際友好親善に貢献することを目的とする。

設立理念解説

松前国際友好財団は、未来を担う若手研究者を日本の研究機関に招聘し、各国が抱える課題を解決できる力を磨くとともに、日本と各国の懸け橋として活躍できるよう支援することを目的に、1979年に設立されました。ドイツのフンボルト財団に範を取り、国籍や政治体制、宗教の差別なく研究者を日本に招聘し、一切の義務を課すことなく研究に励む機会を提供する民間団体として活動を展開しています。

本財団設立の根底には、創立者の松前重義博士(1901~1991)が胸に刻んでいた真に平和で安全な世界の実現に向けた強い思いがあります。

「二十世紀の人類にとって、最も緊要な課題は、核戦争を防ぐため、一刻も早く核兵器を廃絶して、真に平和なそして安全な世界を築くことだ。そのためにはまず、世界各国が学術や文化の交流を通じて、友好親善と相互理解を深める必要がある。私が及ばずながらも人一倍、海外との学術・文化交流の拡大と発展に力を入れてきた最大の理由は、ここにある」(『わが昭和史』)

松前博士は、多彩な分野で活躍した人物でした。電気通信分野の技術者として「無装荷ケーブル通信方式」という世界初の技術を生み出すとともに、逓信官僚や国会議員として日本の科学技術振興に尽力しました。また教育による国づくり、平和の実現という理念のもとに東海大学を創設した教育者であり、柔道家として国際柔道連盟の会長も務めています。

その松前博士が最も重視した活動の一つが、民間交流による世界平和の実現です。人と人をつなぎ、互いの信頼関係を培うことこそが平和な世界の実現につながるとの理想を掲げ、1960年代から各国の政府や民間団体の協力のもと科学者や学生の相互派遣、スポーツ交流団の派遣、指導者の育成といった地道な交流を精力的に展開していきました。「文化の交流、学術の交流を推進することにより友好親善の道を開き、二十年、三十年後における友好親善の道の第一歩を踏み出さん」(雑誌『東海』47号より)との熱い情熱のもと、設立されたのが本財団です。

財団の理念には、母国が抱える諸問題を解決したいとの熱い情熱を持つ若手研究者に、日本で培われた科学技術の叡智を学ぶ機会を提供する。そして、日本での生活を通して日本文化への理解を深め、将来は各国を代表する研究者となって母国と日本の懸け橋となってほしいとの願いが込められています。研究者の育成を通して、日本と世界を結ぶ――。創立者が掲げた理念を実現すべく、本財団では毎年、世界各国から若手研究者を招聘しています。

創立者 松前重義博士 略歴

1901年 熊本に生まれる。

1922年 熊本高工電気科を経て東北帝国大学(現・東北大学)工学部電気工学科入学。

1925年 東北帝国大学卒業後、逓信省へ入省。

1935年 電気学会より「長距離無装荷ケーブル通信方式」の発明により、「第10回浅野博士奨学祝金」を授与される。

1937年 東北帝国大学より工学博士の学位を受ける。

1943年 航空科学専門学校(現・東海大学)を設立。

1944年 陸軍二等兵として臨時召集、南方戦線へ。

1945年 逓信院総裁(〜1946年)。

1952年 衆議院議員(〜1969年、六期)。

1979年 財団法人松前国際友好財団を設立(初代理事長)。

学校法人東海大学理事長・総長、首都大学野球連盟会長、日本対外文化協会会長、社団法人スウェーデン社会研究所会長、株式会社エフエム東京代表取締役会長、財団法人日本武道館会長、国際柔道連盟会長、学校法人国際武道大学理事長・学長、全日本学生柔道連盟会長、などを歴任。

1991年逝去。

主な受章:

勲一等瑞宝章、勲一等旭日大綬章/ブルガリア・勲一等マダルスキーコニク最高勲章、国際デミトロフ章、ブルガリア建国1300年勲章/デンマーク・ダネブロク勲章一等章/ポーランド・最高功労章/ソ連邦・民族友好勲章/ハンガリー・文化功労章、国旗勲章/スウェーデン・北極星勲章一等章/タイ・勲一等王冠勲章/ドイツ民主共和国・民族友好ゴールドスター章/オーストリア・ウィーン市功労栄誉勲章一級クロス金章、大栄誉金章

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